大分市の夏祭りといえば「大分七夕祭り」です。
地元民に愛されているこのお祭りは毎年8月第1週の金曜日から日曜日までの3日間にわたって開催されます。
残念なことに今年はコロナウイルスの影響で中止が決定しています。
七夕飾りが飾られた大分駅や市内中心部の商店街でなどで、様々なイベントや花火大会が開催されます。
その中でも初日に行われる「府内戦紙」(ふないぱっちん)は迫力満点のイベントで、1993年からはケーブルテレビを通じて全国に放送されています。
現在では九州一円より25万人(大分市発表)もの人たちが集まるイベントになりました。
今回は、そんな「府内戦紙」(ふないぱっちん)について紹介します
府内戦紙の誕生
府内戦紙は1985年(昭和60年)、大分商工会議所青年部が地域商店街の活性化案として、新しい文化を創造したい!と、全国の夏祭りを若者の立場から検討・研究して生まれました。
目標は10年で街の文化となる祭を創ること
当時の大分市には、他県のような有名な祭りのメインとなるものがなく、青森の『ねぶた』を基にして、そこに大分らしさと躍動感を加えようと独自で電飾の山車を製作して大分商工会議所青年部は 『大分七夕祭り』の市民みこしに1基で参加したのが最初です。
名前の由来
「府内戦紙」(ふないぱっちん)という名称ですが、「府内」(ふない)と「戦紙」(ぱっちん)に分けられます。
「府内」(ふない)
とは大分市中心部の昔の呼び名です。
大分は豊後の国と呼ばれていてその時の居城が「府内城」
「戦紙」(ぱっちん)
「戦紙」は武者や龍、虎を形どった山車だしのことを指します。
「ぱっちん」とは「めんこ」の事です。
私も子供の頃に「ぱっちん」を集めてましたね。
当時の大分市長が完成した山車をみて、子供の頃に遊んでいた「ぱっちん」=「めんこ」の様だと評したことから命名されたそうです。
ケーブルテレビで全国中継が始まった1993年から「戦紙」という字が当てられ今日に至っています。
「府内戦紙」(ふないぱっちん)のページ
http://www.oita-yeg.gr.jp/patchin/
戦紙の練り歩き
七夕祭りの初日の夜、通行止めに大分駅前から北に向かって伸びる「中央通り」を、府内戦紙およそ20基が、踊り隊を引き連れて、市内を練り歩きます。
普段クルマが走っている道路を、騎馬武者が駆け抜けているのは、異質な感じがして面白いですね。
しかし、初日のメインはなんといっても、勇壮な山車、府内戦紙ふないぱっちんです。府内戦紙十数基が、踊り隊を引き連れて、市内を練り歩きます。
府内戦紙の出場団体は基本には企業なのですが、一般の人も踊り隊、担ぎ隊どちらも参加できます。
高さ約4m、縦約3m、横約3mもある山車を担ぎ隊が大通りで回転させる練り歩きは圧巻です。
来年以降、タイミングよく大分に来られたら、ぜひ生でその迫力を味わってほしいですね。
isosi
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