こんにちは、ヤマです。
今回も私が応燕(応援)するヤクルトスワローズのプレイバックをしたいと思います。
◆2010年、監督代行に
2009年、高田繁監督2年目のシーズンは交流戦を2位、ペナントレースを3位で終え、
野村克也元監督の名言である
「1年目には種をまき、2年目には水をやり、3年目には花を咲かせましょう」
の言葉を借りれば、まさに花を咲かせてくれると期待できる2010年でした。
この年の開幕メンバーで今もスワローズで活躍しているのが、石川投手、青木選手、荒木選手です。
しかし、ふたを開けて見ればシーズンの序盤から苦戦が続き借金生活。
交流戦もいきなりの9連敗。借金は19で首位から15ゲーム差の最下位という悲惨な状態でした。
ここで高田監督が休養(のちに辞任)し、当時ヘッドコーチだった小川さんが監督代行に就任しました。
ちなみに私にとっての小川さんの現役当時印象は「サブ」。
長身でいかにも長距離砲というイメージながら、ムラがありレギュラーにはなれない、といった感じ。
応援歌はたしかインディジョーンズのテーマだった記憶があります。
その後、日本ハムファイターズに移籍しましたが、コーチとして戻ってくれた時はやっぱり嬉しかったですね。
小川監督代行の初陣は途中までリードするも、9回に追いつかれて結局は延長12回引き分け。
勝てなかったと嘆くか、負けなかったと切り替えるか。
反省点はありながらも後者の考えで、非常に印象に残っている試合だそうです。
すごかったのはそのあと。高田監督休養前には19あった借金を8月24日に完済し、
最終的には4つの貯金を作ってシーズンを終えたのです。
しかも、小川さんが監督代行に就任した後の勝率.621という数字は、
2010年シーズンに指揮を取った他球団の監督より上回ったのです。
◆2011年、手応えをもってのスタート
そんな好成績を収めたのですから、翌2011年は「代行」が取れて「小川監督」に。
前年の勢いそのままに、序盤から首位を快走してくれました。
この時は応援するのも楽しくて仕方がなかったですね。
しかしながら、故障者が出たりして終盤に中日ドラゴンズにまさかの逆転優勝を許してしまいました。
この年も翌2012年もクライマックスシリーズまで導いてくれましたが、日本シリーズ進出は叶わず。
2013、2014年は連続最下位に甘んじ退任。
◆2018年、2度目の監督就任
2017年に就任3年目だった真中満監督のもとで最下位になり、
2018年に再び小川さんに白羽の矢が立ち、2度目の監督就任。
開幕直後は最下位に甘んずるも、交流戦で球団史上初の交流戦最高勝率を勝ち取り、
その後も勢いそのままにシーズン2位という躍進を遂げてくれました。
ただ、クライマックスシリーズのファーストシリーズでジャイアンツの菅野投手に
ノーヒットノーランを喫し敗退。またもや日本シリーズ進出とはなりませんでした。
翌2019年には最下位に甘んじ退任。
◆歴代3位の勝利数
結局、小川監督の下では一度もリーグ優勝すら成しえませんでしたが、
それでも球団の監督通算勝利数では野村克也監督、若松勉監督に次ぐ3位の成績。
1回目・2回目、いずれの監督退任後も球団を支えてくれている、
スワローズにとってはなくてはならない存在だと思っています。
またプレイバックしたいと思います。お楽しみに!
ヤマ
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