【二刀流】
現代においてほぼ存在せず、学生時代にエースで4番だった選手もプロ入り後はどちらかを選択している。大貞治、桑田真澄、前田健太、中田翔などが有名だろう。
プロ野球で投手と野手を兼任する発想自体なかった。
そう、あの男の出現までは・・・
それが大谷翔平である。
NPB史上初となる投手と指名打者の両部門でベストナインのダブル受賞
日本人最速、NPB最速記録となる165km/h
MLB史上初の「10登板、20本塁打、10盗塁」を達成
ア・リーグ新人王(日本人受賞は17年ぶり)
一つの疑問が生まれた・・・「二刀流はなぜ生まれたのか」
そこで今回は二刀流誕生秘話をご紹介します。
~リトルリーグ時代~
小学3年生で野球をはじめ、小学5年生で110km/hを記録している。
当時の捕手が体を逃がしてしまうほど、球が速かったと語っている。
~花巻東高校時代~
同郷の菊池雄星に憧れ、花巻東高校へ進学。「日本一になる」「日本人最速となる163km/hを記録する」「ドラフトで菊池雄星を越える8球団から1位指名を受ける選手になる」ことを目標に掲げた。
打者両方で超高校級と評され、打者として高校通算56本塁打をマーク、3年夏の大会でアマチュア野球史上初の160kn/hを記録。
この圧倒的なポテンシャルは日本球界(以降NPB)だけでなくメジャーリーグ(以降MLB)も注目していました。
~プロ入りまで~
12年9月18日、プロ志願届を提出。
当初は「(NPBかMLBか)五分五分」とし、メジャー3球団と面談。レッドソックスと対談した後の取材では、MLB挑戦の不安が解消されたことを明かしました。
MLB球団との面談との面談を重ねていくうちに、だんだんとMLB挑戦へと気持ちが傾いていき、花巻東の佐々木監督や両親と何度も話し合いを行いました。
10月21日(ドラフト会議の4日前)、会見を開き、MLB挑戦を正式表明。完全にMLB挑戦を決断し、各球団はドラフト戦略の見直しを迫られました。
10月25日、ドラフト会議当日、ドラフト1位指名を検討していた球団が指名を回避していく中、日本ハムが強行指名。
指名後の会見では「びっくりしたし動揺もしました。でも、自分の気持ちは変わりません。評価して頂いたのは有り難いですが、アメリカでやりたいという気持ちは変わりません」と語り、指名挨拶のため日本ハムサイドが訪問した際は姿を見せなかった。
「大谷君へ 夢は正夢 誰も歩いたことのない”大谷の道”を一緒に作ろう!」
これは日本ハム栗山監督からのメッセージである。
受け取った大谷選手は嬉しそうな表情を浮かべ、自分の思いを語った。
・ただアメリカでやりたいのではなくメジャーリーグまで行きたい
・長く野球選手を続けたい
・パイオニアになりたい
これらが後々、大きなキーとなる
3度目の入団交渉では『大谷翔平君 夢への道しるべ〜日本スポーツにおける若年期海外進出の考察〜』と題された30ページに及ぶ資料が提示され、高校卒業後、直接アメリカへ渡った韓国の野球選手がMLBで活躍しているケースが少ない点や、過酷なマイナーリーグの現状、母国のプロリーグで実力をつけた選手の方が MLBで活躍できる確率が高い点などが説明された。
4度目の入団交渉で、ついにあの切り札が飛び出す・・・【二刀流】
実は大谷選手本人も両方やることを考えておらず、驚いたという。
入団の決め手となった「二刀流」の提案はパイオニアになりたい大谷選手とその気持ちに応えたい日本ハムとの間で生み出されたかつてないアイデアでした。
いかがだったでしょうか。
当初は二刀流に懐疑的だった世間の声も今となってはどこ吹く風。連日の活躍に心躍らせているファンも少ないくないでしょう。
あなたが何か始めようと思ったとき、常識や固定概念に囚われず自由な発想でやってみるのもいいかもしれませんね!
ゆう
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