嵯峨野は、世界中から旅行者がやって来る人気の観光地です。
ここは、平安時代に皇族や貴族が、避暑や行楽に訪れる静かな別荘地でした。
そして、嵯峨野という地名の由来は、この地を愛した嵯峨天皇が晩年を過ごされたからです。
離宮嵯峨院が大覚寺に生まれ変わったのは、平安時代の貞観(じょうがん)18年です。
大覚寺の正式名所は、旧嵯峨御所 大本山大覚寺と言います。
それから、明治の始めまで、天皇もしくは皇族のかたが、門跡(もんぜき)と呼ばれる住職を務めてきた格式高い寺院です。
では、寺院の中に入ってまず向かうのが宸殿(しんでん)になります。
宸殿は、江戸時代に後水尾天皇から与えられた寝殿造りの建物で、徳川2代将軍 秀忠の娘、東福門院和子が京都御所で使用していた建物です。
そして、内部には4つの部屋があり、中でも見ていただきたいのが牡丹の間です。
名前の由来は、ふすま絵の牡丹からで、狩野山楽が描かれたもので、今でも大事にふすまは守られております。
それから、宸殿の総畳数は約85畳で、うち「牡丹の間」は33畳ともっとも広く格式の高い部屋になっており、天井は「折上小組格天井(おりあげこぐみごうてんじょう)」になっています。
境内の建物の多くは村雨の廊下があり、天皇や高貴な方々が、雨に濡れることなく移動できるように回廊で結ばれており、天井は敵が刀や槍を振り上げられないように低く造られ、床も敵の侵入を察知するために、歩くと、うぐいすが鳴くような音がするうぐいす張りになっています。
そして、村雨の廊下の由来は、縦の柱が雨、直角に折れ曲がっている回廊を稲妻にたとえてそう呼ばれています。
次に、宸殿の奥の回廊とつながっているのが御影堂(みえどう)です。
ここも、天皇家とゆかりの深い特徴的な建物になっております。
この建物は、大正天皇がご即位の時に用いられた物が置かれています。
ですから、建物の中には仏教寺院でありながら、仏像は安置されていません。
さらに、扉が開けられて、勅封心経殿(ちょくふうしんぎょうでん)が見えています。
そのことから、住職さんのなかでは、この建物を心経前殿(しんぎょうぜんでん)と呼んでるそうです。
では、勅封心経殿とは何かと言いますと、60年に一度しか開かれない建物で、1200年前の嵯峨天皇をはじめ、後光厳(ごこうごん)天皇・御花園(ごはなぞの)天皇・御奈良(ごなら)天皇・正親町(おおぎまち)天皇・光格(こうかく)天皇の勅封の般若心経がおさめられています。
とても貴重な建物ですね。
では、ご興味がございましたら、いちど足をお運びください。
大覚寺へは、JR嵐山駅から歩いて約20分か、京都駅から市営バスで約50分、大覚寺バス停下車してすぐです。
それでは、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
nuts
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