時代祭は、平安遷都1100年を記念して、明治28年(1895年)に始まった平安神宮の大祭です。
時代祭の創設は、京都復興のためと、平安神宮の創建に始まります。
なぜ、時代祭が平安神宮の創建に始まるかと言いますと、天皇が京都から東京へ遷都したためです。
当時、明治天皇は、京都の人々のことを考えると、都を東京に移すことが言えない状況で、京都の人々は東京遷都を知らなかったみたいです。
ですから、京都の人々は天皇の帰りを待ち続け、また京都を中心とした国造りが行われる希望を持っていたとのことです。
ですが、願いが叶うことはありませんでした。
しかし、京都の人々は、京都復興にあたり先進的な取り組みを行いました。
それは、明治28年に行われた第四回内国勧業博覧会です。
そのモニュメントとして、京都らしい物を造ろうと言うことで、平安初期の朝堂院を造りました。
これは、今で言う国会議事堂みたいなものです。
そして、造っただけでは後に残らないので、朝堂院を社殿として、京都を開いた桓武天皇を祭神とし、京都の全市民を氏子とする平安神宮が誕生しました。
クリエイター:acworksさん
平安神宮は、緑瓦に朱塗りの社殿がいっぱいです。
それから、昭和15年には、京都におられた最後の天皇、孝明天皇が祀られております。
平安神宮への行き方は、地下鉄東西線「東山駅」下車から歩いて約10分か、京都市バス「岡崎公園 美術館・平安神宮前」下車して歩いて約5分です。
では、時代祭はどのように誕生したのか?
それは、京都の底力を国の内外に見てもらうためのコンセプトとして始まりました。
なぜなら、明治維新によって国が開国をしたので、海外からいろんな工業製品が入って来たおかげで、京都の地場産業が壊滅の危機に陥りました。
そこで、世界でも類をみない、1000年間続いた都市の伝統や時代風俗の行列を内外の人に見てもらうために、当時では東京や大阪にはないもので、すべて京都市民の手によってつくられたみたいです。
そして、平安神宮の創建と時代祭の創設には、平安講社(時代祭の管理運営のためにつくられた市民組織)という組織で、維持と平安神宮の永遠誇示が叶えられてるということです。
京都の人々は、とても強くて素晴らしいですね。
では、時代祭の内容です。
行列の構成は、全部で20列あり、とても時代が分かりやすいです。
そして、最後の行列は神幸列で、本来の祭礼の中心になります。
この行列は、京都の最後の天皇、孝明天皇と最初の天皇、桓武天皇の御霊(みたま)が五鳳輦(ごほうれん)によって巡行されています。
ちなみに、桓武天皇から孝明天皇まで、京都の主だった天皇は72代だったそうです。
長い歴史ですね。
時代祭の巡行は、お昼の12時、京都御所(健礼門前)を出発して、烏丸通、御池通、河原町通、三条通をへて、およそ2時間半をかけて平安神宮へ向かいます。
時期は、10月ですので、ご興味のあるかたは行ってみてください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
nuts
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