こんにちは、nutsです。
私が歴史上の人物で一番好きなのが土方歳三です。
新選組の中でも最後まで戦いぬいて、北海道の函館五稜郭(はこだてごりょうかく)で34歳の若さで戦死しました。
いわゆる戊辰戦争(ぼしんせんそう)です。
そして、写真で見たことがある方も多いと思いますが、めっちゃ男前ですよね!
それでは、新選組のゆかりがある場所のお話させていただきます。
京都の左京区にある浄土宗の七大本山の一つ、くろ谷(くろだに)さんこと金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)です。
ここは、浄土宗の開祖、法然上人(ほうねんしょうにん)が初めて草庵(そうあん)を営んだ場所です。
さらに、幕末には幕府から京都の治安維持を任された、会津藩の本陣になり、その護衛の数がなんと1000人です。
その時の会津藩主は、松平容保(まつだいらかたもり)なのです。
では、境内の案内です。
まず階段をがんばって登ると山門がでてきます。
これはとても大きくて、山門の手前からずっと先まで見渡せるようになっており感動します。
圧巻です!
境内の中には、新選組と会津藩と結び付きがあったお部屋があります。
それは、謁見(えっけん)の間です。
いわゆる、新選組の発祥の間と言われています。
ここでは、京都に残るために、芹沢鴨(せりざわかも)、近藤勇(こんどういさみ)が松平容保(まつだいらかたもり)に直談判をした場所です。
この部屋の奥は何段も上がっていて薄暗いので、そこに松平容保がいると、芹沢と近藤はとても崇高に見えたと思います。
昔の人は、上手く見せるように努力しているなと感心します。
そして、直談判のすえ、誠意が伝わり会津藩の配下になりました。
それから、近藤勇や土方歳三のがんばりで新選組として活躍していくようになったというわけですね。
いや~松平容保がいなければ、新選組はなかったかもしれません。
あとは、庭があるのですが、その庭の廊下に松平容保が座り、土方歳三(ひじかたとしぞう)、山南敬助(やまなみけいすけ)、沖田総司(おきたそうじ)たちのそうそうたるメンバー4組で試合をしたそうです。
これを、上覧試合(じょうらんじあい)と言います。
達人ばかりの試合なので、とても凄かったでしょうね。
生で見たかったです!
今回は、大好きな新選組についてお話させていただきました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
nuts
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