私が目覚めたクルマ、フロンテクーペ

こんにちは。NABYです。

前に子供時代にあこがれた

車の話をしましたが、

今回は車に乗り始めてからの

エピソードを聞いてください。

時は昭和49年,

車の免許が取れる18歳の時点で、

私は当時盛んだったモトクロスの

レースに出場することに夢中でしたので、

車の免許はちょっと遅れました。

前はコースを回るだけでよかったのが

路上試験が始まる、という事で

あわててとりにいったのですが、

コースをほぼ完ぺきににこなして

さあ、最後の直角カーブでなんと脱輪、、、、

教官が言いました。「惜しかったねえ」

かくして路上試験へと変わって2回目で何とか合格。

今から45年位前の話です。

最初に自分の愛車となった車は、 マツダ キャロル。

会社の先輩から1万円で買いました。

2サイクル空冷全盛の時代に 

なんと4サイクル4気筒水冷。

360㏄しかないのになんと贅沢な、、、

車重の重さゆえスタートしてから

時速40キロまで到達するのががなんと長いこと。

しかし静粛性はさすがでした。

でも1週間でオーバーヒートしてジ、エンド

さすがに先輩は1万円返してくれました。

と、ここまではなんてない話なんですが、

次に買った車が人生を変えました。

ちょっと、大袈裟ですが。

それは、スズキのフロンテクーペGX-Fでした。

とにかく全高が低いこのクルマ、コーナリングが凄い。

水冷2サイクル3気筒360㏄37PS

軽自動車ではトップクラスのパワーだったのですが、

すぐに物足りなくなり、モトクロッサーの

ピストンを使いボアアップ。

420㏄となってパワー、トルクが大幅にアップ。

ただリヤエンジンでしたので

コーナーで限界を超えると

最後はどうしてもオーバーステアになり

くるくる回ってましたので、

もっとコーナーで踏み込めるように

フロントホイールをぎりぎりまで

ワイドなリムにして、

当時では贅沢なラジアルタイヤ。

リヤ、これも車幅ぎりぎりのワイドリムに

レーシングタイヤ。

リヤヘビーなので徹底的にリヤのグリップ重視。

アンダーステアだしっぱなで踏みこんでいける、

自分好みの車になりました。

最高速もメーター140キロは振り切ってましたし、

今考えると、本当に恐ろしい事をしてたもんです。

でもこのクルマは直線をガンガン飛ばすよりも、

峠道が断然楽しい。

よく走り屋を見つけては追いかけまわしたもんです。

排ガス規制で消えていったこのクルマ、今ではさすがに

お目にかかることがありませんが、

手に入れる機会があればぜひまた乗ってみたいものです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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NABY

NABY

車やバイクをいじることが大好きで、気が付けば40年以上もメカニックをやっているNABYです。 家族はというと、妻一人、娘一人、カメ一匹がおります。 自分の新たな可能性を信じて頑張ります。

私が目覚めたクルマ、フロンテクーペ」への2件のフィードバック

  1. まりおん より:

    こんにちは、まりおんです。
    訪問いただきありがとうございました。

    自分は他のサイトを見ないんですが、今回
    訪問させていただいて勉強になりました。
    ポチポチしておきます、これからも頑張って
    ください。

  2. NABY様
    最近は若い人のクルマ離れバイク離れがよく話題になりますが身近な若者もやはりこの傾向が顕著で少し寂しいですね。
    ちなみに私はいすゞの117クーペに憧れました免許を取った当時すでにクラッシックカー的な存在でしたが・・・

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