これからの資本主義社会の諸問題

経済学のテーマは生産と分配である。生産とは何をどれだけ作るか、分配は誰にどれだけ分配するか。生産には効率が求められ、分配には公正が求められる。効率に関してはケニス・アロウという人が市場経済に任しておけば善いという一般均衡理論というものを提唱した。社会の構成員の少なくとも誰か一人の効用を下げずにはもはや誰の満足感も上げられない状態のことをパレート効率的というがパレート効率的であれば市場均衡であるということも証明した。但し市場が本来の力を発揮するには完全競争状態でなければならない。完全競争の条件は財の同質性、参加者の多数性、情報の不完全性、自由参入・自由退出の4つであるがこれは物理学でいう理想状態であり、実際には不完全である。しかし理論的には生産の方は一応それで決着がついている。

問題は公正の方である。よく格差はいけないというふうに言われるがそれでは全員同じ給料でよいかというとそんなことはない。格差は必要であるがどんな格差が必要かが問われる。働いても働いても食いっぱぐれるようなのはよくないと思うが、しかしネームバリューだけのプロ野球選手がろくに活躍もせずに数億円稼ぐのもどうかと思われる。

頑張ったら頑張った分だけ分配されるというのが市場経済の基本原理であるがこれを貫徹すると寝たきりの人など何らかの事情で働きたくても働けない人が生きていけなくなってしまう。新古典派の経済学の分配原則はnational minimumの保証、市場による貢献に応じた分配、所得分配政策による修正の3つである。市場による貢献に応じた分配は市場に任せるとして、national minimumを形にしたものが生活保護法や各種の保険、所得再分配政策による修正が累進課税制度である。しかしこの3つの分配原則は実は何かを語っているようでほとんど何も語っていない。なぜなら、national minimumの定義については何も語っていないし、所得の再分配もどのような仕組みが理想かについては何も語っていないからである。national minimumもあんまり充実させすぎると働かなくても充分生きていけるので労働意欲が失せるし働くよりも働かない方が所得が増えるとなると不公正になる。

或いは所得の再分配にしても別にズルをして儲けたわけではない私財を国家が押収して再分配するのもある程度は認められるとしても、程度が過ぎると不公正である。効率に関しては理想はあるけれど現実的にはそれを達成するのが困難であるのに対して公正に関してはそもそもどのような状態が理想であるかということに関して決着がついていない。それに関してロールズは無知のベールをかぶった状態で議論するのが善いと考えている。つまり自分が何者であるのか、貧しい人間なのか、豊かな人間なのか、黒人なのか、白人なのか、公務員なのか、民間企業で働いているのか、そういったことが一切わからない状態で議論すれば最も公正な分配が実現されると述べた。しかし、これの難点は二つあり、1つめはそうはいっても現に自分が何者であるか知ってしまっていること、もう一つは無知のベールをかぶることができると仮定したとしても博打打ちがいないとは限らないことである。つまりおれは無知のベールが取れたとき最も貧しい層の人間であったとしても所得の再分配もnational minimumもない社会の方が善い、その代りもしかしたらとびきりの金持ちかもしれないという人がいないとは限らないことである。ロールズは最下層の人たちの効用が増すのが最も優先されると考えていたのでそうなると無知のベールの意味はなくなる。

これに対する私の見解は今の日本の社会の現状で善いというものである。生活保護法も基準が甘すぎるとか逆にクーラーの使用も認めないなんてやりすぎとかいろいろな批判はあるがおおむね妥当であると思うし生活保護ではないが野口みずきさん達グローバリーの選手が一時期失業保険で生活していたことを考えるとちょっと甘いんじゃないのくらいである。自分の夢を追いかけるのであればリスクも覚悟しておくのは当然のことだ。自分の夢を追いかけてなおかつ保証もあってなんていうのは本来ありえないと思うべきだ。将来、老人が増えて高齢者ひとりあたりに若い人何人で支えるとかいう問題を取り上げているが、それも高齢者は働かなくても良いという大前提が揺らがないから問題になるわけで、高齢者も自己責任という発想はないわけである。日本は充分弱者に優しい国だと思う。

ネームバリューだけで数億円稼いでいるプロ野球選手は少々もらいすぎだとは思うが、しかし彼らの給料とて簡単に稼げるものではなく、球団がそういう評価を下している訳であって、その評価を勝ち取るのも難しいものなのだ。実力の世界とは言えプロスポーツはエンターテイメントなのだから打てなくても、投げられなくてもファンから応援されるというのは一つの能力だ。プロとしては恥ずかしいかもしれないが客寄せパンダも誰でもなれるわけではなくそれに対する対価であると考えれば公正かもしれない。

共産主義的思想を持った平均的日本国民達が資本主義経済で動くというのは意外とバランスが取れるのかもしれないと思う次第である。累進課税制度は高額所得者に厳しすぎるパーセンテージだと思うがそれでもまあそんなに無茶苦茶でもないと思うし、返せないといけないとはいえ奨学金もあるしで、皆の勤労意欲を低下させずになおかつ弱者に優しい社会が実現されており、結局ここからどちらに動かしても誰かが不満を言うのではないのだろうか。

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池上秀志

スポーツ(特にマラソンと野球)、栄養、ウェルビーイング、マインドフルネス、哲学・倫理学・経済学・政治学など社会科学が好きな京都府出身の24歳です。様々な役に立つ情報やそんな見方もあるのかというような情報を届けていきたいと思います。宜しくお願い致します。

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