いよいよパシフィコ横浜で
社会福祉士国家試験受験資格取得講座の
スクーリングが始まった。
講座の主催は
日本知的障害者福祉協会。
まさに日本全国から
受講者が集まってきている。
広い会場には
とても大勢がひしめいている。
私の住んでいる田舎で
ここまで人が一か所に集まることはほぼないであろう。
田舎者の私は緊張するかとも思っていたが
さすがにこれだけ人が多いと「その他大勢」にまぎれて
油断してのいびきと、おならさえ気を付ければなんてことはないw
場に慣れてきてだんだんと周りが見えてきた。
ふと見ると、隣に座っていたのは若い女性であった。
この広い日本で、この会場に同じ時に存在し
こんな大勢の中で席が隣になるというのは何かの縁に違いない。
講義の合間に、意を決して話しかけてみる。
「どちらからいらしたんですか?」
田舎訛りをおさえ、努めて標準語で話しかける。
話しかけるとき、彼女のほうに体を向けたことで
彼女の体全体が視界に収まる。
彼女の机の上には見慣れないタイプライターが置かれ
椅子のわきには白い杖が立てかけられていた。
「あ、地元の神奈川県内です。」
明瞭な明るい返事をしてもらったが
彼女は目が不自由であった。
点字のタイプライターを机上に置き
自分の物とは違う大きさのテキストを持っていた。
驚かなかったといえばウソにはなるが
次の言葉をどう発すればいいのか数秒迷ってしまった。
同時に自己嫌悪が襲い掛かってくる。
別に差別などしているわけでは決してない。
私の目指すのは、社会福祉士である。
様々な要因で日常生活上での不自由がある方々の
全人間的な支援を行う国家資格の専門職である。
こんなことで戸惑っていてどうする。
まして彼女は
心身の機能にハンディがあろうがなかろうが
まぎれもなく同じ道を志す尊敬すべき仲間である。
ただ、目が不自由なことに言及すべきか迷ってしまった。
迷った自分を恥じる。
目が不自由という「個性」。
もしこれが、とってもおしゃれな髪型といった個性であれば
誰も何も迷わず彼女の個性を話題に出すであろう。
べつにマイナス面という個性では決してない。
だが、ストレートに目が不自由な事を話題に出すのはいかがなものか。
そう、人間としてのデリカシーのレベルである。
で、
私が次に発した言葉は
「ここ(会場)までは電車で来られたのですか?」
「はい」との返答をもらう。
「やっぱり都会は、バリアフリー化が進んでいて便利ですね」
「そうなんです。私でも一人でここまで無事たどり着けました!」
我ながら、うまく話せたと感じた。
すると、
「さすがに建物の中は係員さんに誘導してもらいましたけどね」
明るい声で会話が弾む。
「ですね、入り組んでますからね。わたしなんか田舎者なのでようやくたどり着けましたよ」
2人の間に少し笑いが起こる。
「目が不自由」と「田舎者」
この2人が持つハンディは見事に
「建物の中に弱い」という共通点に到達する。
時間にすれば1~2分ほどの会話であったろう。
オリエンテーション担当の係員がマイクを握り
自然と会話は中断されたが
心が少しあったまる時間をいただいて
朝から夕方までぶっ続け講義の講義初日が始まった。
講義は眠く辛いものになるかと思いきや
意外と楽しく、講師の話が非常に為になった。
当時は現在のようにLINEやスカイプもなければスマホすらない。
リアルで人の講義を聞くというのはとても有意義だ。
普段テキストを読んで詰め込んできた内容が
スラスラと頭の中に定着していくのが実感できる。
今更ながら、学生時代にもっと勉強しておけばよかったと感じる。
まあ、どうせ喉元過ぎればこんな感情も忘れてしまうのだろうが。
そんなこんなで合計2週間にもわたる
憧れだった電車通勤の毎日、
スクーリングも終わりを告げる。
結局、隣の彼女とはそれ以降特に会話という会話もなく
二日目以降はもはや広い会場のどの席にいるかさえ分からなくなってしまった。
もはや知るべくもないことであるが
彼女は立派な社会福祉士として世の中に貢献していることは確信している。
きりたん
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