今回は駿府城と掛川城をご紹介します。
駿府城
主な遺構は、天守台、石垣、堀です。
見どころは、少年期に今川氏の下で過ごした徳川家康が駿府に戻ってきたのは、秀忠に将軍職を譲り大御所となった後の慶長12年(1607)です。
家康は全国の大名を動員して、天正期築城の駿府城を三重の堀と二つの曲輪が本丸を囲む輪郭式の城に改築しました。
慶長15年に完成した天守は、五重七階(六重七階とも)でした。
寛永12年(1635)に焼失した天守は再建されていませんが、平成28年度から令和3年度まで天守台発掘調査を実施して現場を常時公開しています。
・天守台石垣
巨大な天守台と本丸堀の一部が発掘によって姿を現しています。
・復原された埤櫓
江戸時代の修復記録に基づいて平成26年(2014)に復元された二重三階の櫓。
内部は吹き抜け空間になっており、櫓の構造を見ることができます。
・復元された東御門と巽櫓
古文書資料などを参考に巽櫓は平成元年、東御門は平成8年に復元されました。
東御門は櫓門・高麗門・多門櫓から構成された枡形虎口です。
令和3年4月に展示リニューアルオープンしました。
スタンプ設置場所 東御門販売所、埤櫓(月曜日、年末年始は休館。祝日・休日にあたる場合は営業。休刊日は静岡市役所)
掛川城
主な遺構は、二の丸御殿、太鼓櫓、霧吹井戸です。
見どころは、掛川城は戦国大名の今川氏の重臣の朝比奈氏の居城でした。
今川氏の滅亡後に、徳川家康の家臣が入城しましたが、家康が関東に移ると、豊臣秀吉の配下の山内一豊が入封しました。
天正18年(1590)のことでした。
一豊はこの城を中世の城から三重の天守をもつ近世城郭へと大々的に改修しました。
現在残る城と城下町の骨格は一豊の時期に形成されました。
天守は幕末の地震で壊れましたが、貴重な二ノ丸御殿や太鼓櫓が残り見どころとなっています。
・天守から見た二ノ丸御殿
掛川城随一の見どころです。
文久元年(1861)に再建された書院造の御殿で藩主公邸兼政庁として使われました。
7棟20部屋からなっています。
・大手門
平成7年(1995)に復元された楼門造りの櫓門。
実際は現在地より南50mの位置にありました。
大手門脇には江戸時代末期に建造された大手門番所が移築されています。
・天守と太鼓櫓
平成6年(1994)に発掘調査結果や古絵図、高知城を参考に復元しました。
三層四階の木造建築です。
現存太鼓櫓は三の丸からの居城。
スタンプ設置場所 掛川城御殿
ふくすけ
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