競馬をやったことのある方ならサンデーサイレンスという馬を聞いたことがあるかと思います。
アメリカで主にダートを主戦場として活躍した後、種牡馬として日本にきたこの馬は競馬の最高峰のG1を幾つも勝つような競走馬を多数輩出した。また、世界で活躍する馬も多数輩出し、日本競馬の発展に著しく貢献しました。
この馬が打ち出した様々な記録の一例を以下に挙げると・・・
リーディングサイアー、連続リーディングサイアー、通算勝利数、通算重賞勝利数、通算GI級競走勝利数、年間勝利数、年間重賞勝利数、年間GI級競走勝利数、年間獲得賞金額、通算クラシック勝利数
記録という記録を全て塗り替えているのがこれでわかります。
アメリカのダートが主戦場だったサンデーサイレンスがなぜ日本に輸入されてきたのか?
アメリカのダートはどちらかというとスタミナよりスピードが問われるレースが多かったので同様にスピードが問われる日本の芝でも成功するケースがあったことが一因にあげられます。
また、この馬の走りを見てとても惚れ込んだ人がいました。吉田善哉氏です。
彼無くしてサンデーサイレンスは日本に来なかったのでサンデーサイレンスにとっては正に恩人です。
実はサンデーサイレンスは競走馬時代の戦績が良かったので一旦はアメリカで種牡馬となったのですが血統的背景から不人気で種付け希望者がわずか2人という状況だったのでこのままもしアメリカにいたままだったら成功はとてもしていなかったかと思います。
そういうことで日本に輸入されたサンデーサイレンスですが最初はアメリカでの不評もありそれほど期待されていませんでした。しかし初年度産駒から想像を上回るペースで活躍馬を輩出しました。その結果次年度からは、さらに優秀な繁殖牝馬が多数当てられ、さらに優秀な競走馬が誕生するという好循環になりました。
何故、サンデーサイレンス産駒は総じて競争能力の高い馬が多かったか?
精神面では、サンデーサイレンス自体は気性が激しい馬であったがその激しさが良い方向、闘争心の強さや勝負根性の強さに向ったが産駒も同様な傾向を示す馬が多かったこと、肉体面では、全身に均等に筋肉が付きバランスが良くさらに柔らかいので優れた瞬発力を発揮しさらに怪我にも強いという面をもたらした。
また、スピード競馬全盛になったというのもスピードがあるサンデーサイレンス産駒にはプラスに作用した。
こうして長年に渡り多数の活躍馬を輩出したサンデーサイレンスだが2002年に残念ながら死んでしまう。
しかし、そのころサンデーサイレンスの仔が多数種牡馬、繁殖牝馬になっておりその産駒もまた多数の活躍馬を輩出していた。
その結果、血の飽和という弊害がもたらされてしまう。
この点に関しては、一つの系統が栄えれば次に別の系統が栄えるということが繰り返されて来たので、サンデーサイレンスの場合もほかの系統が自然と栄えるようになるだろうという話が出ている。まだ先の話になろうが、このままだと行き詰まるのは目に見えているのでそれに期待したい。
サンデーサイレンスの成功は多数の競馬関係者に富をもたらしまさに伝説となったのである。
英雄故事
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