今回は高岡城と七尾城をご紹介します。
高岡城
主な遺構は、本丸、二の丸、三の丸、鍛冶丸、明丸、土橋、水堀、石垣、です。
見どころは、前田利長が隠居城としていた富山城が火災で焼失したため、高岡に城を築きました。縄張は高山右近と伝わっていますが、最近では疑問視する研究もあるそうです。
慶長20年(1615)の一国一城令によって廃城とされましたが、水堀と曲輪はほぼ完全に保存されています。
縄張の特徴は、本丸以外の曲輪がすべて馬出(明丸は馬出見立て)であること。
これは「連続馬出」とも称され、土橋を通過する敵は必ず横からの攻撃にさらされることになっています。
・民部の井戸(三の丸)
今枝民部直恒(みんぶなおつね)邸の井戸とだと伝わっています。
井筒の直径80cm、深さ8m、屋形がかけられた時期は分からないが、大切にされています。
・鍛冶丸と明丸間の水堀
城域の3分の1にも及ぶ広大な水堀は、現在も良好な状態で残っており、伏流水を使っているため、水量は豊富です。
・土橋の石垣
本丸と二の丸を結ぶ土橋の石垣(西面)。
粗加工石の乱積で築かれているが、近代以降の積み直し説もあるそうです。
スタンプ設置場所 高岡市立博物館(鍛冶丸跡)
七尾城
主な遺構は、本丸、二の丸、三の丸、調度丸、桜馬場、寺屋敷、九尺石、石垣、堀切、土塁です。
見どころは、七尾城は能登守護畠山氏の居城で、七代目の義総(よしふさ)が整備を進めました。その後、上杉謙信に攻められて落城。
謙信はこの城から望む七尾湾の眺望をこよなく愛でたそうです。
謙信の死後に前田利家が織田信長に宛がわれて入城しました。
利家は七尾城を修築するとともに小丸山城の築城に取りかかり、完成すると七尾城を廃城としました。本丸と長屋敷との間の大堀切や数段に積み上げられた石垣が主なみどころです。
・九尺石
桜馬場の西の曲輪にある内升形虎口の石垣に積まれた巨石。
長さ2.7mあることから名づけられました。
・本丸へ続く道の石垣
ここでも低い石垣を段々に築いています。築城時にはまだ高石垣を築く技術を得ていなかったようです。
・調度丸と桜馬場間の石垣
数段に積まれた石垣がまるで高石垣のように眼前に聳え、見る者を威圧します。
スタンプ設置場所 七尾城史資料館玄関前、七尾市役所本庁
ふくすけ
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