今回は松本城と高遠城をご紹介します。
松本城
主な遺構は、天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓、月見櫓、本丸、二の丸、堀です。
見どころは、黒漆塗りの下見板張りの天守群はどこから見ても美しいです。天守と乾小天守を渡櫓で結ぶ石垣造の近世城郭を築造したのは、石川数正(いしかわかずまさ)・康長(やすなが)父子です。
本丸正面の復興された黒門は侵入者が直進できない枡形門で、一の門が櫓門、ニの門は高麗門になっています。藩の政庁だったの二の丸御殿跡は規模・間取りがわかるように史跡公園として平面表示されています。
二の丸御殿跡北西隅の御金蔵蔵も見ておきたい所です。
・再建された二の丸太鼓門
二の門と、一の門からなる内升形門。
太鼓門は石川玄畜頭康長によって築造され、二の門をはいって右手にあった太鼓楼(再建されていない)上に太鼓が置かれて、さまざまな合図に使用されました。
一の門の門台左に巨石「玄畜石」があります。
・東(右)と西(下)から見た天守群
大天守と乾小天守が渡櫓で連結し、辰巳附櫓と月見櫓は天守と複合しています。
なかでも三代将軍徳川家光を迎えるために増築されたとされる月見櫓は平和を象徴した表情をしており、天守と一体になっている点が珍しいです。
スタンプ設置場所 松本城管理事務所(有料区域本丸庭園内)
高遠城
主な遺構は、本丸、二の丸、三の丸、南曲輪、法幢院曲輪、勘助曲輪、空堀、竪堀です。
見どころは、高遠頼継(たかとおよりつぐ)を攻略した武田信玄が改修した城です。
後年、勝頼の弟で仁科盛信(信頼)が城主となりますが、織田信長軍に攻められ落城しました。
江戸時代は徳川氏の譜代大名の居城となりました。
城は三峰川の断崖を背にした本丸を二の丸、三の丸が半円状に囲む後堅固の縄張りであり、曲輪間の空堀と土塁で堅く守られていました。
現在は、建造物はほとんど残っていないが、石垣や堀・土塁が戦国期雰囲気を伝えています。
・太鼓櫓
大正2年に本丸南櫓本丸南隅櫓跡に建てられた高遠城が桜の名所になったのは、明治時代にタカトオヒガンザクラが植えられたことによります。
・本丸空堀
曲輪間の空堀はよく残っており、堀底に降りれば築城者の意図が味わえるかもしれません。
・桜雲橋と問屋門
奥の問屋門のところが本丸御門跡で、一の門と二の門からなる枡形門がありあした。
問屋門は城下から移築された門です。
スタンプ設置場所 伊那市立高遠町歴史博物館
ふくすけ
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