今回は甲府城と松代城をご紹介します。
甲府城
主な遺構は本丸、二の丸人質曲輪、天守曲輪、帯曲輪、稲荷曲輪、数寄屋曲輪、鍛冶曲輪、天守台、堀、石垣です。
見どころは一条小山の他に平岩親吉(ひらいわちかよし)や羽柴秀勝、加藤光泰(かとうみつやす)らが築城を開始。
その後、浅野長政・良長父子の時期に完成したようです。
関ヶ原の戦い後に家康は一門のための城とし、数年後に柳沢吉保が城主となってさらに城と城下町の整備を行っています。近年の発掘調査をもとにした復元整備が進んでいるので見どころが多いです。
・再建された稲荷櫓
鬼門の北東にあることから良櫓(りょうやぐら)ともよばれた二重二階櫓です。
甲府が勤番制になってからは武具庫として使われていました。
・高石垣
天守などの建造物がないだけに石垣の素晴らしさが目立ちます。粗割石を用いた野面積みの技術は圧巻です。
手前の橋は明治時代に架けられたものです。
・本丸天守台
穴蔵があり平面が不形成の天守台。豊臣系築城技術が生かされた石垣が見事です。
石垣や礎石だけでなく石切り場跡、石垣の暗渠など見どころは多い。
スタンプ設置場所 舞鶴上公園管理事務所、甲府城稲荷櫓
松代城
主な遺構は本丸、二の丸、堀です。
見どころは、武田信玄が北信濃を支配するために築いた海津城が全身です。
川中島決戦で著名なこの城には、武田氏滅亡後に織田・上杉・豊臣・徳川各氏の家臣が次々と入城した。元和八年(1622)真田信之が入封、三代藩主幸道の時に松代城と改称されたとされています。海津城時代の縄張りを活かして改修しているので、武田流築城術の特徴が強く出ている城です。
近年、太鼓門不明門、長大な土塁などが復元されました。
・本丸北不明門
搦手口を守る外枡形門です。手前が一ノ門(高麗門)で奥がニノ門(櫓門)です。
このあたりまで千曲川が接近していました。
・二の丸土塁と本丸戌亥隅櫓台
手前の二の丸は土塁で囲まれています。奥が戌亥隅櫓台で野面積みの石垣です。実質的には天守台に相当します。
・本丸太鼓門と太鼓前橋
本丸の大手口の内枡形門。手前の橋詰門(高麗門)と奥の太鼓門(櫓門)で枡形を形成しています。ともに平成16年(2004)に復元されています。
スタンプ設置場所 真田邸
ふくすけ
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