私の思い出のクルマです。

 

私の思い出のクルマです。

こんちは!NABYです。
今回は、車のお話。

私は自動車整備をやっているんですが、そのきっかけとなったのは、
中学生の頃。

実家のすぐ近くに自動車整備工場がありまして、
そこの息子さんが乗ってたクルマ。
朝、通学途中にその工場の前を通るのですが、
まだモータリゼーションがそこまで発達してない時代。

まさに先駆者的な車だったんです。私にとって。

その車というのは、”ダットサンサニー1000” 型式は B10 です。
日産がわざわざ車名を一般公募したある意味、社運を賭けた大衆車。

その中の ”SPORTS” という4速フロアシフトのスポーティなモデル。
なんせ、当時は3速コラムシフトが主流だったんですよ。

そのサニーの何が先駆者だったかというと、、
まずサイレンサーなしのメガホンマフラー。

超絶やかましい。
さらにシャコタン。フロントバンパーはなし。
 

フェンダーミラー全盛の頃に砲弾型ドアミラー。
スポーツカーくらいしかついてなかったタコメーターつき。
とはいってもダッシュボードの上にポンとつけてあるだけの。
 
このクルマが毎晩、そうですねえ、20時前位になると
我が家の前に現れるんです。
 
爆音ですから100メートル前位でもすぐにわかります。
すぐに家の前に飛び出して、その車を待ちます。
 
というのは、家の前50メートルくらいに、JRの駅(当時は国鉄)
がありまして、すぐ横にタバコ屋さんがあったんです。
そこにいつも寄られてから戻ってくるのですが、
 
私の家の前に一旦停止があったので、そこからスタートする時に
必ず全開スタートをやってくれるんです。
 
もうたまりません。爆音なのですが非常に心地よい音で、
シフトアップも超早い。
完全に私のヒーローでした。
 
しかしある日、その車がなんと、完全にノーマルに戻っていたんです。
聞く話によると、近所にあった派出所のおまわりさんに 注意されて
全部元の姿に戻されたそうです。
 
そりゃあもう、がっかりしましたよ。
 
のちに当時大人気だったブルーバード510SSS
をラリー仕様にして乗ってありましたが、 
 
もう私の心は離れちゃいました。
あのエキサイティングな音も加速も味わえませんでしたから。
 
でもそのあとは高校の同級生たちと、近所にあった自動車学校へ
当時盛んになっていたジムカーナを観に行っていました。
 
そこに3台くらいのナンバーなしの競技車を積んだ大きなキャリヤカーが現れました。
 
 
クルマは、スズキフロンテLC10 。2ストローク3気筒の画期的な
軽乗用車なんですが、エンジンをボアアップし、
エキスパンションチャンバーを取り付けたハイチューニング車。
 
 
この車の音を聞いた途端、
よし!俺はスズキに就職する!と決めたのです。
 
私はホンダ車にはあまり興味はなかったんです。
確かに世界を席巻した技術は認めます。
モーターサイクル並みに回るエンジン。が、
 
当時は2ストロークエンジンの方がパワー競争では有利でした。
なんといっても毎回爆発する強み。
瞬発力では比べ物になりません。
私の好みにぴったり。
 
当然、スズキに入社してから買った車も
チューニングするのは言うまでもありません。
先輩からもらったシリンダーを使ってボアアップして、
 
あ,クルマは、フロンテクーペGXFという全高が1200ミリくらいしかない
スポーツタイプ。
このクルマ、恐ろしくコーナリングスピードが速いんです。
ただリヤエンジンなので限界を超えたときにスピンしやすかったので、
 
フロントホイールをぎりぎりまで拡げ、リヤも極太のホイールに
BSのセミレーシングタイヤ。
 
これでアクセル踏みっきりできるきるようになりました。
スピードも140スケールのメーターを振り切り、
加速がいいのでシフトチェンジが超忙しかったのですが、
 
このクルマで日夜峠道でスポーツタイプのクルマを追いかけまわしたものです。
 
それでは、続きはまた次の機会で。
 
最後までお読みいただきありがとうございました。
 
 

  
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 









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NABY

NABY

車やバイクをいじることが大好きで、気が付けば40年以上もメカニックをやっているNABYです。 家族はというと、妻一人、娘一人、カメ一匹がおります。 自分の新たな可能性を信じて頑張ります。

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