ケニア人マラソン選手の生活―キンビアトレーニングキャンプから

1.ケニアの生活

今日では、ロードレース、マラソン、トラックの1500mから10000mまで、ケニア人選手達によって牛耳られているのが現状ですが、彼らはどのような生活をしているのでしょうか。

私は、去年2月からハノーファーマラソン3日前の4月6日まで、私のコーチであるディーター・ホーゲン氏が経営するキンビアトレーニングキャンプで生活していました。そのトレーニングキャンプにはコーチホーゲンの選手である。ドイツ人のオリバー・ホフマンさん、ケニア人のアラン・キプロノさん、そして去年までコーチホーゲンの選手だったスレイマン・シモトワさん、レイモンド・チョゲさんが一緒でした。

スレイマンさんとレイモンドさんはもうコーチホーゲンの選手ではなかったのでお金を払って滞在していましたが、私とアランさん、オリバーさんの分はコーチホーゲンが払ってくださっていました。他には元コーチホーゲンの選手のラーニー・ルットさん、フランシスさん、フィレモン・チェボイさんが頻繁にキャンプに来ていました。中でもラーニーさんは練習も一緒で、自宅にいる時間よりもキャンプにいる時間の方が長かったです。一度ラーニーさんに「家に帰らなくて、奥さん怒らないんですか」と聞いたら、「俺の奥さんは俺の行動に文句なんて言わないよ」と言ってました。ケニアではまだまだ男尊女卑の文化が残っています。

一方で、先輩方からこんなことも言われたことがあります。

 

「ロードレースで活躍している選手の中で結婚してない選手がいるか?活躍している選手は皆奥さんが怖くて頑張ってるんだよ。成功した男の陰には必ず、怖い奥さんがいる。そして成功した女の影には必ず、泣いてる亭主がいる。亭主が稼いだ金で奥さんはビジネスやって、家では亭主が家事させられてんだよ。」

 

食事は自炊で、自分達で料理していました。朝は砂糖がたくさん入ったミルクティーとパン、昼はポテトと米、夜はマナグ、スクマウィキと呼ばれる葉物やキャベツとトマトを一緒に炭火で蒸すのに近い炒め方をして、トウモロコシの粉を水と一緒に加熱して固めたウガリというものと牛乳でした。ほとんど毎日同じ食べ物で、コーチホーゲンの指示で週二回はオリバーさんがレバーを買ってきて、調理していました。ウガリは本当にお腹いっぱいになる食べ物で、少量でも十分です。よくケニア人に強さの秘密を聞くと冗談で、ウガリと答えますが、本当に長距離選手には適した食べ物だと思います。

加熱は炭火かガスクッカーというカセットコンロの巨大版のようなものを使っていました。ガスクッカーは弱火で調理が出来ないので弱火の調理をするときは炭火を使います。炭火を起こしたことがある人はどのくらいいますか。恥ずかしながら、私は初めは上手く火がつけられませんでした。枯れ草を集めて炭の下に引いてマッチで火をつけるだけのことなのですが、風で火がつかなかったり枯れ草に上手く引火しなかったり、引火してもすぐに消えたりといった感じでした。慣れれば大変でもないのですが、練習が終わった後、火を起こすところから始めないといけないので、日本に帰ってひねるだけで火がついて弱火にも強火にもできるガスコンロは便利だなと思いました。

洗濯は各自自分でたらいに水をためてやっていました。面倒くさいときはまとめて近くに住む女性に頼んだりもしていました。一回400シリング(85シリング=約100円)くらいでやってくれるので、2,3人分頼んで、割り勘する形をとっていました。私は基本的に自分で洗濯していたのですが、アランさんに見つかるといつも「池上、それ大変やろ」と言って手で洗濯ものをこすり合わせるジェスチャーをいつもやっていたものです。因みに、ルームメートのオリバーさんは全く洗濯しない人で使ったトレーニングウェアを部屋のロープにかけて乾かして使うという強者。でも空気が乾燥しているので全く臭くありませんでした。練習後のシャワーも赤土で汚れさえしなければ、浴びなくても不快ではないです。

ケニアはものすごく乾燥しているので、赤土が前を走っている選手や車で舞い上がり、走っていると結構な量吸い込んでしまいます。大量に吸ってしまうとのどや鼻を痛めてしまいますし、最悪お腹を壊します。コーチホーゲンには集団でファルトレクをするときには、砂埃を避けるために前か少なくとも真ん中に位置取りするように言われたくらいです。

 

2.練習スケジュール

さて、そんなケニアの生活ですが、一日のスケジュールはだいたい以下の通りです。

 

水曜日、金曜日

5:30 起床

6:00 練習

7:30 シャワー

8:00 朝食

8:30-13:00 休養、洗濯、買い物、調理など

13:00 昼食

13:30-16:00 休養、洗濯買い物など

16:00 練習

17:30 ミルクティー

20:00 夕食

21:00-22:00 就寝

 

月曜日、火曜日、木曜日

7:00 起床

7:30 朝食

8:30 練習

11:00 シャワー、調理

12:30 昼食

13:00-16:00 休養、マッサージ

16:00 練習

17:30 ミルクティー

20:00 夕食

21:00-22:00 就寝

 

土曜日

5:00 起床

5:20 出発、移動

6:00 練習

9:30 シャワー、朝食

10:00 昼寝

12:00- 随時マッサージを受ける

15:00- マッサージを受け終わった人から帰宅

 

練習の流れもほぼ固定で、月曜日はマンデースペシャルと呼ばれる20㎞-21㎞のモデレートからハードなペースでの持久走。だいたい21㎞を75分くらいですが、標高2300mで起伏のあるイテンでは相当きついです。大体は途中で落ちていきます。

火曜日と木曜日はトラックでのインターバルかファルトレクです。ファルトレクという言葉は聞きなれない人もいるかもしれませんが、1分速く走って1分ジョギング、2分速く走って1分ジョギングという類のものです。ファルトレクはだいたい100人くらい、トラックでのインターバルも数十人のグループでやります。

水曜日と金曜日は15㎞-18㎞くらいの楽なペースでの持久走で徐々にペースを上げていき、最後の1㎞はかなりきつい強度で走ります。因みに、この水曜日と金曜日の練習が終わって帰ってくると、大抵オリバーさんはまだ寝ていたので皆で朝ご飯を食べながら「オリバー、きれいなマリンボ(女性)がいるぞ」、「オリバー、マタクタモ(セクシーな女性のおしり)」、「オリバー、シェーネポーポー(ドイツ語でマタクタモのこと)」とか叫ぶのが恒例でした。オリバーさんは「今行く」って言いながら、全然来ないという定番のやり取りでした。

土曜日の朝はロングランです。イテンには起伏のあるコースしかないので、車で比較的平坦なコースに移動してやっていました。これも数十人のグループで行っていました。土曜日の朝のロングランが終わると一眠りしてマッサージを受けた人から帰宅し、週末を家族と過ごし、月曜日のマンデースペシャルまでに帰ってくるという流れになります。

インターバルにしてもロングランにしても大人数でスタートして全員最後までもつかというとそういう訳ではありません。寧ろ、大半は途中で落ちていきます。私はそれは理にかなったやり方ではないと思っていますし、多くの人が誤解していますが、ケニア人みんながチャンスをつかめる訳ではなく、チャンスをつかめるのはせいぜい5%です。残りの95%は理に適っていないハードな練習で割に合わない結果しか出せていないというのが私の見方です。ケニア人全員が強いわけでもなければ、ハードな練習とハングリー精神だけで強くなったわけでもありません。大体強くなった選手はヨーロッパ人のマネージャーやコーチがついています。若しくはベテランランナーやヨーロッパ人コーチのついている選手についていって、気付いたら強くなっていたパターンです。

またハングリー精神というと人気ドラマ「おしん」のような耐え忍ぶ感じがしますが、決してそういう雰囲気ではなく、底抜けに明るいです。何か問題があっても気にしないのが彼らのスタイルです。考えない強さと考えない弱さが半々かなというのが私の見方ですが、考えることはコーチに任せてしまうのが一番かもしれませんし、そういう観点から見ると強い選手の多くがヨーロッパのマネージャーやコーチの傘下に入っているのは当然かもしれません。

 

3.トレーニングキャンプの雰囲気

トレーニングキャンプの雰囲気ですが、当然のように日本のように年齢による上下関係はありません。最年少は私で23歳、アランさんが30歳でレイモンドさんとオリバーさんが32歳、スレイマンさんが40歳でした。初めは先輩方には敬称をつけて呼んでいましたが、どうもよそよそしい感じがして、向こうも慣れないようだったので本人の前では呼び捨てにすることにしました。リーダー格はコーチホーゲンと同じドイツ人ということもあり、オリバーさん。因みにベストタイムが一番遅いのはオリバーさんですが、ベストタイムも別に関係ないです。日本にありがちなのはベストタイムの速い選手が発言力を持つということですが、そういうこともなく私にとってはとても風通しの良い空間でした。ある日の近所に住むラーニーさん(自己ベスト2時間6分34秒)とオリバーさん(自己ベスト2時間20分)のやり取りです。オリバーさんが他のメンバーは練習のやり方がわかっていないと言い出したことから始まりました。

 

「オリバー、俺たちは練習のやり方がわかってなくても十分速いぜ」

「コーチホーゲンの指示に100%従ってれば、まだボストンやニューヨーク、シカゴで勝てるよ。スレイマンを見てみろ。去年のベルリンで14分24秒(5㎞通過)で入った。コーチホーゲンの指示に従ってキロ3で行ってれば2時間6,7分でトップ3には入ったね。(実際には2時間10分で7位)」

 

こんな感じのやり取りなので、速い選手の発言力が強いという訳ではありません。因みに、コーチホーゲンと選手が離れていく理由ですが、コーチから切ったケースにしろ、選手から切ったケースにしろ、ほとんど両者の合意に基づいたものだと思います。コーチの方から切るケースはだいたい先に選手がコーチの言うことを聞かなくなったり、練習のフィードバックをしなくなったケースです。最後通告はコーチの方からかもしれませんが、選手の方から先に意思表示をしてるといえるでしょう。

選手がコーチホーゲンから離れていく一番の理由はスポンサーとレースに不満があるからです。この辺りは微妙なところだと思います。スポンサーに関して言えば、他のマネージャーにつけばより良い契約が取れるかはわかりませんし、一年目に提示された金額は低くても年々確実に上げてくれる会社もあります。そして、マネージャーの腕とは関係なくスポンサーがケニア人選手に興味を示さなくなってきたという事情もあります。

レースに関しても白黒はっきりつけられるものではありません。コーチホーゲンは簡単に大きなレースに出すことはありません。しっかりと準備をした後で、レースを選びます。目先の小さなお金でまだ準備のできていない選手をレースに出すことはありませんし、レースの交渉を進めていても選手の状態が落ちてくると取りやめにすることもあります。大きな故障でもすると、1か月の準備でレースに出ようということにはならないので選手の方は治癒に一か月かかるとすると、合計で4か月の忍耐が必要になります。短い準備でレースに出ることを我々はモンキービジネスと呼んでいましたが、コーチホーゲンはモンキービジネスはしない主義です。しかしながら、目の前の金が必要なのはベテラン選手よりも若手です。実際にもっと海外のレースをオーガナイズしてくれるマネージャーに変えた選手もいました。因みに、コーチホーゲンは選手の力さえつけば、大きなレースに出すだけのコネクションを持っていますし、コーチホーゲンがこの選手は良いといえば走るんだという信頼感をレースオーガナイザー達から得ているということでもあります。

私自身ももっとお金が稼げる小さなレースに出たいという気持ちがないではないですが、自分のポテンシャルに到達するには忍耐が必要ということを理解しているので基本的にレースはコーチホーゲンに任せています。この辺はボクシングと同じで良いトレーナーが同時に良いマネージャーでもあるケースは稀ですし、選手がマネージャー及びトレーナーの考えを理解しないと上手くいかないところです。

いずれにしても選手とコーチの関係性というのは本当に様々で面白いです。ある意味では日本の実業団は特殊で選手は会社と契約を結ぶので、選手も指導者というよりは会社とかチームという単位で選んでいる感はありますし、指導者の方も選ぶ立場にありながら、選ばれる立場にもあるという感覚が少ないような気がします。

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池上秀志

スポーツ(特にマラソンと野球)、栄養、ウェルビーイング、マインドフルネス、哲学・倫理学・経済学・政治学など社会科学が好きな京都府出身の24歳です。様々な役に立つ情報やそんな見方もあるのかというような情報を届けていきたいと思います。宜しくお願い致します。

ケニア人マラソン選手の生活―キンビアトレーニングキャンプから」への2件のフィードバック

  1. 3月 より:

    はじめまして3月です。応援ありがとうございます!
    マラソンすごいですね。自分では経験できないことを伝えていただけて、得した気分になります(^○^)

    1. 池上秀志 より:

      3月さんコメントありがとうございます。

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