今回は松前城と弘前城を紹介します。
〇松前城
主な遺構は本丸御門と本丸表御殿玄関と堀です。
日本式の最後の城だそうです。
嘉永2年(1849年)に幕府が海防のために松前氏に築城を命じ、松前氏は居館があった地に市川一学の縄張りで安政元年(1854年)に完成。
この時に初めて三重の天守があげられているので日本最後の天守だったそうです。
海防上、火砲を重視したため、城の内外に37基の大砲を備えていました。
当時の軍事通りに造られていて、曲輪や堀などがよく残っているので、虎口や石垣などを丹念に見ていくとおもしろいそうです。
〇本丸御門
本丸脇にある櫓門。築城時から現存する門は国の重要文化財です。
扉に鉄筋を張ってあり、石垣も本丸同様に美しいそうです。
〇外堀と砲座
外堀は二の丸と三の丸の間にあり、三の丸には7基の大砲が据え付けられていました。
〇天守
国宝だった天守は昭和24年に焼失したため、昭和35年に鉄筋コンクリート造で外観を復元したものを再構。緑色凝灰岩で造られた切込接の低い石垣が見事だそうです。
石垣には戊辰戦争の時の弾痕が今も残っています。
〇弘前城
主な遺構は、天守、丑寅櫓、辰巳櫓、未申櫓、追手門、東門、北門、南内門、東内門、本丸、北の郭、二の丸、三の丸、四の丸、西の郭、濠、土塁。
見どころは、津軽を平定した津軽為信の子、信枚(のぶひら)が築城。
本丸を二の丸以下の曲輪が囲むように縄張りされた輪郭式の城です。
本丸のみ石垣が積まれ、他の曲輪は土塁で囲まれています。
本丸には馬出しが残っています。
築城時の天守は五重でしたが、落雷によって焼失し、江戸時代後期に本丸の辰巳櫓を改築して天守代用として、これが現存する天守になっています。
〇二の丸丑寅櫓
二の丸北東に建つ三重三階の隅櫓で、現存する3棟の隅櫓はすべて三重三階です。
〇北門(亀甲門)
江戸時代初期から残る城門で、枡形虎口は土塁で囲われています。
〇現存天守
現存12天守の1つで、層塔型の三重三階で銅瓦葺き。
多くの狭間と切妻破風で装飾された二の丸と鉄扉付きの窓を大きくとった本丸側が対象的です。
弘前城の前の川沿いの桜も見事なので、桜の季節に行ってみたいですね
ふくすけ
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