ハッシーのブログへようこそ 今回は、藍農家の屋敷を訪問しました。
予備知識として、藍はどのようなものか調べました。
藍による染料は「すくも」といわれるそうです。
タデアイという植物(インドネシア原産)の葉を乾燥後、土間で約100日ぐらいかけて発酵させます。そのような手間がかかる伝統的な方法が、江戸時代から明治時代にかけて徳島などを中心に大量に行われていたようです。
20世紀になると、安価なインド藍が輸入され、すくもの生産は減少していきます。次に合成インジゴという材料が生産されるようになります。それにより天然のインジゴは、衰退しました。合成インジゴは1880年ドイツではじめて合成されたらしいです。インジゴという物質が藍の染料の主成分なのかも
その合成物質は天然のものと全く同じで純度が高く、それでいて安価で生産されるようになったとのことです。
因みに現在の藍の徳島での生産量は、徳島県で50トンぐらいで、明治時代では、最大約2万トンとのことですので、現在はその約0.2%なんですね。現在でも徳島が生産量が1位だそうです。
昔から吉野川が氾濫すると洪水が起こっていた場所で、稲作が困難でありましたが、土壌が藍の栽培に適していたようです。
藍農家の屋敷の文化財が残されていまして、田中家住宅とか武知家住宅、奥村家住宅、工藤家住宅、吉田家住宅、脇町の街並みなどがあります。
ここでは、そのなかの田中家住宅を訪問しました。田中家住宅は、徳島県名西郡石井町にありまして、昭和51年(1976年)に国指定文化財となり、昭和53~56年に修理されたということは、41年前に修理されているんですね。庭の木とか生垣の状態からよく管理されているようです。
田中家 屋敷 表側
田中家屋敷前にある説明書き
田中家屋敷の母屋
田中家は、吉野川南岸の平野部にありまして、1620年ごろこの地に阿波藩の招致により入植して代々続いた藍商の家だそうです。1620年とすると、400年前ですか?その間の家系図とか残っているですかね?17代続いているそうです。今も住まわれているようで、今の何で生計をたてているのか?
石垣を築いて土盛りをし、約700坪の敷地に母屋、藍寝床、番屋、味噌部屋、など11棟を建てているようです。そのときの主な運搬手段は馬だったのかも?
日曜日のみ見学可能と言いうことがインターネットでみかけましたが、行ってみるとコロナで見学中止という張り紙がありました。車が置いてあるので、生活感が感じられました。
許可なく撮影できないとのことで外側でしか撮影しておりません。
他にも徳島における藍についての説明した説明書き、田中家住宅、武知家住宅、藍商人についての記録した古文書について記入した説明書きがありました。しかし、昔の藍商人が現在の暮らしをみたら、どう思うことでしょう? 染料が合成化学染料でできることとか自動織機、携帯電話、カメラ、自動車、などの移動手段などいろいろ変わりましたね。
徳島における藍についての説明した説明書き
田中家屋敷のついて説明した説明書き
武知家屋敷について説明した説明書き
藍商人について記録した古文書のついて説明書き
hassy
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こんにちわ。私のブログにお立ち寄りくださりありがとうございました。徳島の藍染め農家のお屋敷、いいですね。中を見学できなかったのは残念ですが、説明書きなど置かれていて興味深いですね。