これまで、仕事で海外出張に行ったことを振り返り(3~4年前です)、
様々な場所を紹介することにしました。
紹介させて頂くのはTaga-chanです。
今後、皆さんが行かれた時の参考(記載さしている閲覧料等は現在のものです)になればと思います。
さて、今回はミラノとレオナルド・ダ・ヴィンチについて紹介をしますね。
近年、映画『ダ・ビンチ・コード』で話題になり、『モナリザのほほ笑み(モナ=リザ)』や「最後の晩餐』の
作者であるレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci)については、皆さんご存じですよね。
そんなの、中学や高校の授業で習ったから知っていると言う御仁も多いでしょう。
でも、レオナルドは結構な期間ミラノに滞在していたんですよ。
その軌跡として、ミラノのドーモからのヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアを抜けると、
すぐにスカラ座広場に大きくて立派なレオナルド・ダ・ヴィンチ像(ピエトロ・マーニ作)があります。
以前紹介したミラノの関連の記事を以下のURLから見て参考にしてくださいね。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
そもそも、名前の由来ですが、皆さんが学校で習い覚えている
レオナルド・ダ・ヴィンチは勘違いされているのを知っていました?
それはイタリア語をそのまま、読んだだけで・・・・、
きちんと翻訳するとヴィンチ村(トスカーナ地方)のレオナルドと言う意味です。
要するに、ヴィンチ村出身のレオナルドさんとでも言えるのでしょう。
ここでマメ知識:レオナルドの本名は、レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ (Leonardo di ser Piero da Vinci )
と言い、とても長い名前ですが。昔はよく自分の出身地の町や村を付けていたようです。
さて、その「万能の天才」と呼ばれるレオナルドについて簡単に説明していきましょう。
レオナルドはミケランジェロ、ラファエロと並んでイタリアのルネサンス盛期における三大巨匠
の一人で「万能の天才=uomo universale」と言われているのはご存じですよね。
ルネッサンス初期のフィレンツェ出身で「人間はあらゆるものになる可能性を持っている」と説き、
最初に「万能の天才」と称された人文主義者レオン・バッティスタ・アルベルティ(Leon Battista Alberti)
の影響を受けたのではとも言われています。
ここでマメ知識:なんと、レオナルドはこの3人の中で一番のオジンで親子ほどの年の差があった。レオナルド・ダ・ヴィンチは
自分の「目」を信じた人、ミケランジェロ・ブオナローティは、頑固な生き方を貫いた人、そしてラファエロ・サンツィオは
当時の人気者のスーパースターと言われていたようです。
さて、レオナルドの生い立ちですが、1452年4月15日(ユリウス暦)にトスカーナ地方のヴィンチ村で
私生児として(父親はフィレンツェの裕福な公証人で母はその妾)、生を受けました(17人兄弟がいたと言われています)。
レオナルドは15歳になるまで私生児というのもあって、父親から満足な教育は受けさせてもらえなかったようです。
そして同じフィレンツェの有名な画家で彫刻家であったアンドレア・デル・ヴェッキオに美術的センスを
認められ弟子入りして、後世に名を遺す大一歩を踏み出しました。
それからは1478年に独立するまでヴェッキオのもとで画家、彫刻家としての腕を磨き
マスター称号を獲得しながら、晩年に多くの資料を遺す機械工学の基礎を学び、
1482年にミラノ公国に移り住み12年以上も滞在したと言われています(かなり出入りが多かったようです)。
その後、第一次イタリア戦争、1499年に二次イタリア戦争が勃発して、フランス軍がミラノ公国を侵略し、
逃れるようにしてレオナルドはヴェネチア、そしてフィレンツェへ戻るようになります。
その間、軍隊などで機械工学の知識を生かした仕事をしていて、彼の美術的な作品はミラノには
数える程度しか残っていません。最後で若干の補足説明を加えますね。
中でもミラノに残っている代表的なものはサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の
食堂の壁に残る『最後の晩餐』です。
因みに場所とメトロの最寄り駅は以下の通りです。駅から降りて5-6分ですよ。
予約取れ時間が合えば見に行って下さい(閲覧時間は15分程度ですが)。
それに折角なので以下のURLから『最後の晩餐』の解説(日本語)を動画でご覧ください。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
ここで豆知識:現地でチケットは購入できません。予めインターネットで購入する必要がありますので、以下で予約してください。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
https://www.vivaticket.com/it/cerca-biglietti/CENACOLO%20VINCIANO
ただし、たった15分程度しか見られませんが、予約が非常に困難ですので、見に行かれる3-4カ月前に閲覧時間も含め予約してください。
値段は以前より上がって€12(予約料込み)です。Eチケットの詳しい取り方はユアトリップや他のサイトで確認してください。
ツーアだと€40以上かかるみたいですよ。
その5,6年後、再びミラノに多くの弟子をミラノに戻り1513年まで活動を続け、
その後、政治的な問題でローマのヴァチカンに3年間移り住みました。
*ヴェニスやヴァチカンはまたの機会に紹介しますね(今回は写真だけ)
最終的に、ミラノを陥落させたフランス国王フランソワ1世に招かれ『国王家の画家、建築家、技術者などの称号』を与えられ、
何の不自由もない環境で『洗礼者ヨハネ』『モナ・リザ』『聖アンナと聖母子』等の作品をフランスで残し、
アンボワーズ城近くのクールの館で1519年5月2日に弟子のミラノ貴族フランチェスコ・メルツィに看取られ
フランソア1世の腕の中で息を引き取ったと言われています。
ここでマメ知識:『モナ・リザ』、他も彼がフランスに移ってからも手を加え続けていたため、
フランスのものとなり、現在ではルーブル博物館に展示されています。
ここで注意:このようなレオナルドですが、結果的にミラノ公国を倒したフランスで生涯を終えたことで、これだけ偉大な天才ですが、
好意的に思っていないイタリア人(特にミラノ近辺)もいるようですよ。
だから、場合によっては、彼の歴史的背景に深く入って話をすることはしない方が良いと思いますよ。
ところで、本題のレオナルドは一番長く滞在したミラノで何を残したのだろうか?
1482年以降のミラノで舞台装置、宮廷舞台劇などの宮廷芸術家として滞在し、母親も呼び寄せています。
また、建築家としてミラノ大聖堂のドームやパヴィア大聖堂の設計等に関わっていますが(結局採用されず)、
そのほとんどが未完成に終わっています。
レオナルドのミラノでの絵画は残っているのは先に紹介した『最後の晩餐』と『音楽家の肖像』以外は
全て海外の博物館で所有されています。興味のある方はそれぞれ閲覧してみてはどうですか?
そのほか、軍事関連まで幅広くその知識を活用していますが、意外と未完成が多いと聞いています。
土木、機械工学、数学、医学、音楽、天文学等などの分野の研究を自ら推し進めて膨大な記述資料を残しています。
その資料がレプリカで展示されているのがレオナルド・ダ・ヴィンチ国立科学技術博物館
(Museo Della Scienza E Della Tecnologia Leonardo da Vinci)です。
そして、レオナルドの構想したものが現代で実用化されて、どのように進化して形になったかも
展示されていますので非常に勉強になると思います。
そのレオナルド・ダ・ヴィンチ国立科学技術博物館へのアクセス方法と入場料等は以下を参考にして下さい。
MetroのS.Anbrogio駅から歩いて直ぐです(4~5分で)。
博物館のURLも紹介しておきますので覗いてみて下さい。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
http://www.museoscienza.org/
尚、レオナルドの絵画はミラノ以外で描かれたものがいくつかありますが、
別途機会があればレオナルド関連でフィレンツェやローマの記事を書く時に紹介します。
最期に、ミラノでレオナルドゆかりの地や博物館のURLを紹介しておきますので時間がある方は、
ミラノに行く前にアクセスして予定に入れてみてはどうですか?
1). カーサ デグリ アテラニ レオナルドのブドウ園(Casa Degli Atellani – La Vigna Di Leonardo)
カーサデグリ アテラニ レオナルドのブドウ園」はレオナルド・ダ・ヴィンチの「最期の晩餐」がある
サンタ・マリア・デッレ・グラツイ教会入り口にあります。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
http://www.vignadileonardo.com
2). レオナルド3ミュージアム ザ ワールド オブ レオナルド ダ ヴィンチ(Leonardo3 Museum – The World of Leonardo da Vinci)
場所はスカラ広場(Piazza della Scala)あるいはヴィットリオ・エマヌエーレ2世ガレリア(
Galleria Vittorio Emanuele II)の入り口から直ぐです。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
www.leonardo3.net/MuseumLeonardo3/index_eng.html
レオナルドの生涯の詳細をもっと知りたい方は以下のURLや様々なBolgがありますので調べて見てください。
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/レオナルド・ダ・ヴィンチ
それでは、この記事が楽しいミラノ旅行の参考になるように祈っています。
Ciao!!
この記事をみて、ミラノに行きたくなった方や海外に旅行をと
お考えの方は以下をクリークしてくださいね。
また、ミラノやイタリアの歴史を調べてみたい方や観光ガイドブックを購入したい方は
以下をクリークしてアクセスしてください。
Taga-chan
最新記事 by Taga-chan (全て見る)
- イタリアの観光名所紹介:イタリアのグルメ③ - 2022年4月16日
- Unlimited Affiliate 2.0の16大特典とは!!Part-3 - 2022年4月9日
- イタリアの観光名所紹介:イタリアのグルメ② - 2022年3月26日
これだけ調べるのは大変でしたね!
知らないことがいっぱいです。
ミラノに行く予定はないので残念だけど。
私は海外旅のブログは泊まった宿や食べたものといった個人的な記録も書いたりしてましたね。
でも私はまだブログ初めて7年目で良く分かってないところが多いです。
同じイタリアのブログを書いていらっしゃる人のを見ると
参考にもなるかもしれません。
カフカフカさん、
コメント、ありがとうございました。
レオナルドは昔から憧れていたこともあって、今回、ご紹介した博物館には何度も足を運びました。
私なんかブログを初めて3カ月しかたっていません。こん回も始めたのはいいけど、あれもこれもと
伝えた方が良いなんて考えてくると、余計なことまで頭に浮かんできて。やっぱり、ブログを書くのは難しいですね。
これからは他の人が書いたのも、参考にしていきたいと思います。
これからも宜しくお願い致します。
たのしく拝読させていただきました!
行ってみたいところばかりでした。
レオナルド・ダ・ヴィンチは以前に、
受胎告知を日本で観たことがあります。
とても素晴らしいものでした!
絵画だけでなく、
さまざまな分野に通じていたかたのようですね✨
ますます好きになりました。
ありがとうございます!
NAVI彦さん、
ブログ見て頂きありがとうございました。
紹介できませんでしたが、本当にいろんなことに秀でた人だったのが、
レオナルド科学博物に行くと解りますよ。彼の手書きのレプリカですが、
ハンパなく細かい説明がつけてあります。一度機会があれば、ミラノに訪れてみてはいかがですか。
NAVI彦さんは、日本史に詳しいので、日本のレオナルドと称される平賀源内についてブログなんか書かれてみてはどうでしょう。
もっと、幅が広がるのではと思います。
また、頑張ってイタリアがらみの記事、例えばあの神曲で有名なダンテについてなんか。ラベナにある彼のお墓にも行きました。
そんな歴史でも?あと、ベルギーのしょんべん小僧のお話とか・
NAVI彦さんも、頑張って新しい記事お願いします。