今回は多賀城と仙台城をご紹介します。
多賀城
主な遺構は、政庁地区建物跡、官衙ブロック建物跡、門跡、築地塀跡です。
多賀城は、奈良・平安時代に陸奥国の国府が置かれ、奈良時代には鎮守府も併せて置かれるなど古代東北の政治・文化・軍事の中心地となった城柵です。
約900m四方に築地塀や材木塀がめぐり中央に重要な政務や儀式を行う政庁がありました。
その周囲には行政実務を担う役所や兵舎や工房などが配置されていました。
平安時代になると道路により区画された街並みが城外に形成されて国司の邸宅などが発見されています。
〇政庁正殿跡
正殿跡は建物の規模がわかるように基壇が復元整備されています。
〇多賀城南門と政庁を結ぶ道路
丘陵部は掘削し、低湿地は盛土して造られた長さ約300mの道路で最盛期には幅23mあったという。
〇多賀城政庁復元模型
藤原朝かりによって大改修された政庁第Ⅱ期の復元模型があります。政庁は8世紀の創建後11世紀まで3回建て替えられていますが、中央の正殿、東西の脇殿、南門とこれらに囲まれた広場は一貫として位置が変わりませんでした。
スタンプ設置場所
多賀城跡管理事務所
仙台城
主な遺構は、本丸大広間の遺構表示や本丸城含め城内名所に残る石垣
仙台城は中世の千代城を改修して、伊達政宗が慶長5年から2年余りで築いた城です。
政宗は大規模な土木工事を行って青葉山に石垣、土塁で防御した本丸を築きました。
天守はあげませんでしたが、本丸には御成門や懸造りのほか、大広間を中心とする御殿を建てました。
平山城になるのは二代忠宗の二の丸造営以降である。
高石垣の他に埋門と酉門の枡形虎口、本丸西の大堀切、さらに三の丸の水堀と土塁など見どころが多いです。
〇大手門脇櫓
大手門は桃山様式の豪壮華麗な城門でしたが、戦災で喪失しました。
〇本丸跡北壁の石垣モデル
17世紀後半~4代藩主綱村時代の加工石材を使用した切込接の石垣があります。17世紀初頭~初代藩主の政宗時代の自然のままの石や粗割りした石を用いた野面積の石垣もあります。
〇本丸跡の北壁石垣と大広間
伊達政宗像が建っている広場の北側石垣は、切込接の石垣が高く積み上げられています。
ここにはかつて本丸御殿の主要な建物であった大広間や御成門がありました。
スタンプ設置場所
仙台城見聞館展示コーナー
ふくすけ
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